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2012年8月 福建省・厦門


夏のアモイ・コロンス島 4日間  (JTB夏休み限定!特別企画!)  2012.8.31~9.3

 
下水環境課の課長・次長の旅日記


旅の日記

<8月31日>
8時に成田空港に到着した。チェックイン・セキュリティーチェック・出国審査を順調に済ませ、搭乗時間までに1時間以上の余裕を持って56番搭乗口へ。1万円だけ両替してみたところ、1万円で700元なので、1元は14円28銭。現地ではガイドの黄恵子さんが1万円を710元で両替してくれた。10元おまけしてくれた勘定になる、有り難い。
さて、僕らを乗せたボーイング767(B767―300)は定刻の10時25分に成田空港を離陸した。(以後、現地時間で記述)1時間もしないで昼食サービスとなり、僕はパエリアとモルツをいただく。それから、座席に着いているモニターで「速水もこみちのシルクロード鉄路の旅 西安-ウルムチ 2600km」をみる。和諧3型が牽く牽引する列車での旅ものDVDは、蘭州まで8時間の旅から始まった。そして、僕らのアモイへの旅も始まったのである。
 幾らかうとうとしただろうか、そうこうしている内に機は着陸態勢に入り、12時54分に廈門高崎国際空港に着陸した。晴天、30度。ガイドは黄恵子さん、日本語読みするとケイコさんなのでまるっきり女性だが、本人もその事が解っているようで名前を紹介して受けをねらっている。彼は1981年生まれの31歳で大卒でマンション住まい。朱容基が大好きだと言うから、彼が進めた経済改革の恩恵を被っているに違いない。(この経済改革は江沢民政権を擁護し、共産党の一党独裁をより強固にするための政策)その彼が言うには、廈門でも1週間前に反日デモがあったそうだ。勿論尖閣諸島の問題が引き金なのだろう。実は帰国して何日もしないで、アモイ市のインターネット上に9月16日に反日デモの呼びかけがあったようだ。
 話を旅行に戻すとしよう。この日のは旅程に従って「上古文化芸術館」、台湾の金門島が見える観音像が立っているビーチ、書道家の碑がある海辺の公園などに立ち寄った後ホテルに入った。
 チェックインして夕食のレストランにバスで移動する。悦秀大酒楼では廈門料理を満喫した。食後はオプショナルツアーの「中山路の散策」に参加し、宗清先生から聞いていたジュース、ガイドも美味しいと教えてくれた「酸梅湯」(3.5元)を飲んだり、家へのおみやげ用に干支のストラップ1個35元を4個で80元で買ったりと楽しいひとときを過ごした。



<9月1日>
 今日は午前中がコロンス島観光だ。9時にホテルを出発する。車中でガイドの黄さんがいろいろ説明してくれたが、いくつかの説明内容はとても印象深かった。車のナンバーには省ごとの別称(昔の呼び名)が表記されているが、ここ福建省はもんがまえに虫で「閩」と書く。これを中国語ではミン(min3)と発音する。虫はヘビのことだが、福建省は門の中にヘビが多いので、もんがまえに虫で「閩」が福建省の別称となったそうだ。もう一つ。「廈門」は中国語ではシアメン(xia4men2)と読むが、なぜアモイなのかと言うと、地元の方言(閩南語)で「廈門」をエーモンと発音するためこれが訛ってアモイとなったのだとか。さらにもう一つ。明日行く予定の華安県「大地土楼群」の「二宜楼」は円楼の中では最大級を誇っている。直径が73m余り、面積が9300㎡、外側が4階建て高さ16mで内側が1階建ての二重構造。外側は1階ごとに48部屋あり全部で192部屋、内側に25部屋あるので合計で、今風に言えば217室のマンションと言うところか。福建省の南西部には外にも土楼群が点在している。これらは、中原に暮らしていた客家(ハッカ)が西晋の時代に戦乱を避けるために一族で南に逃れ、この地で造り出した建築様式。2008年に「土楼客家」として世界遺産登録された。
 さてさて、話をコロンス島に戻すことにしよう。コロンス島と言えば「ピアノと音楽の島」であり「猫の島」でもある。最盛期にはピアノが700台もあったとか、さて猫ちゃんは何匹ぐらいいるのだろうか。中国の新学期は9月1日からなので、昨日までは夏休みでここもかなり混雑していたようだが、今日は比較的すいている感じがする。とは言っても島に渡る船は観光客ですし詰め状態だが。アモイ島(アモイ市の中心地は、東西13km南北14kmの円形をした島なのです。)は白鷺の自然繁殖地なので「白鷺の島」とも言われているが、コロンス島は至る所にブーゲンビリア(これはフランス語、中国語では三角梅という)などの花が咲いているところから、「洋上の花園」とも呼ばれている。
 一人50元を払って電動カートに乗れば40分ほどで島を一周できるが、僕たちは歩いて回ることにした。猫ちゃんを見たり古い建築物を眺めたりしながら、最後に「新四海」という土産物屋で買い物などをして港に戻ったのが11時半。この後の騒動については、一時行方不明となってしまったその方の名誉のために言及は差し控えよう。
 午後の予定はかなり押してしまったが、「佳麗海鮮大酒楼」で飲茶(ヤムチャ)のお昼を食べて南普陀寺」に向かう。ここを1時間ばかり観光しただろうか、黄さんのお茶談義を聞きながらバス移動して「雲普天下」とういお茶屋に着いた。美味しい中国茶のことをかわいい店員さんに説明してもらい、さらに試飲させてもらえば、それがお店の商売と解っていても買わない手はない。結局、中国茶が好きなこともあって、鉄観音・東方美人・雲南プアール七子餅を500元で買い込んでしまった。



<9月2日>
 オプショナルツアーに参加して華安の土楼観光に行く。9時にホテルを出発、杏林大橋を渡って高速道路を走ること約1時間、漳州西インターで高速道路を下りた。道は次第に山中へと向かい両側には茶畑も見られる。そう言えば福建省は中国でも有数のお茶の産地で、特に武夷山の岩茶は有名だ。1時間少々で華安県にある「大地土楼群」に到着、お昼を食べてからいよいよ土楼観光の始まり始まり。期待に胸が膨らむ。
 客家(ハッカ)の祖先は元々黄河の中流域=中原(漢民族発祥の地)に住んでいたが、戦乱を避けるために南に逃れこの地に移り住むようになった。そして外敵や獣を排除して一族の安寧な生活を守るために、このような独特な建築様式を造り出したという。そして彼らは、このようにして定住した土地では全くのよそ者であったために、客家と呼ばれるようになった。人口は約1億2千万人で、居住地域は福建省・広東省・香港の外、台湾・タイ・マレーシア・シンガポール・フィリピン・インドネシアなどに分布している。優秀な民族だとも言われており、中国の劉少奇・鄧小平・郭沫若、中華民国総統だった李登輝、インドネシア大統領だったリー・クワンユーなど政財界の著名人も多い。
 昼食場所の先に大きなゲートがあり、ここからは電動カートに乗り換えなければならない。やがてガイドの黄さんが車中で説明をしてくれた「二宜楼」が見えてくる。聞きしに勝る大きさで黄土色をした外観と相俟ってまるで城塞のようだ。外界との唯一の通用口となっている開口部から入場する。中庭の中心に立って身体をぐるりと360度回してみる。すると、外観からは想像できない光景が目に入ってくる。正しくこれは4階建ての円形アパートで、240年前の生活が目に浮かぶようだ。1階から4階までの見学を終えフリータイムとなった。円楼の内側一階の前には、ぐるりと土産物を商う店が並んでいるので、先ずは宗清先生から教わった中国茶の「大紅袍」を探してみる。本物かどうかは分からないが、「大紅袍」を買うことができた。まだ時間がありそうなので、さっきから気になっていた現地ガイドと思しき若い女性に声をかけてみた。彼女はの名は林彗英さん、21歳でここに住んで中国人観光客相手にガイドをしている。「二宜楼」は観光用に開放されているので、居住者はいないと思っていたのだが・・・。でも、もしや客家族かと思い尋ねてみると閩南人とのこと、がっかりしてしまった。色々な話をしてツーショットで写真を撮らせてもらい、あとで写真を送る約束をした。
 「大地土楼群」には外に円形ではなく四角形の方楼である「東陽楼」と、土楼博物館として開放されている円楼の「南陽楼」がある。「東陽楼」は一般の居住用であるため、洗濯物が干されていたり、中庭でおばあちゃんがくつろいでいるなど生活臭がある。「南陽楼」では共同炊事場なども見学できたが、何と言っても印象的だったのは池に映る逆さ南陽楼を見られたことだ。こうして見学をしている間に、何と三回も雷雨が降った。ちょうど「二宜楼を」出て「東陽楼」へ移動しようとしていた時の雨には閉口したが、瓦屋根が雨に打たれ甍の黒色が鮮やかになり、この上ない”土楼美”を満喫することができた。



<9月3日>
 3日間はアッという間に過ぎ去り、早くも帰国の日になってしまった。オプションを除けば30,740円の超超格安ツアーなので、この日はホテルを出ると1軒の土産物屋に立ち寄り、あとは空港に直行した。
 同行の一光(かずみっ)ちゃんとチェックインを済ませ、出国審査でセキュリティーチェックを受けた時のことだった、事件が起こったのは。まさか、かずみっちゃんのポケットからブランディーのクウォーター・ボトルが出てきてしまった。機内に持ち込める液体は100ml以下に限定されていることを知らずに、機内で飲もうと思っていたようだ。ここで係員に没収してもらえば一件落着ですんなり通過できただろう。ところが、かずみっちゃんは何を血迷ったか英語で「持って帰りたい」みたいなことを言い、僕にも中国語でそう言ってくれと頼むではないか。
 ここで、男性係員はかわいい女性係員にバトンタッチいた。そうか相手はかずみっちゃんを懐柔する作戦だな。あとで聞いたところによると、彼女は厦門国際航空(株)の安全検査護衛部に所属して2年になる厳金清さん21歳、とてもチャーミングな女の子だ。彼女が中国語で「ニーメン・トゥオユィン・ジェウ・カゥーイー・ラ」というのだが、「トゥオユィン」が何の事だか分からない。すると、「ついて来て!」と僕らを階下のカウンターまで連れて行ってくれ、係員に何やら話をしてくれた。彼女のお蔭で「トゥオユィン」手続きをして事なきを得た。彼女が親身になって面倒を見てくれたことを今でも感謝している。
 別れ際に感謝の言葉を重ね、厚かましいとは思ったが記念に写真を撮らせてもらった。最初は恥ずかしそうにしていたが、同僚に背を押されて快く応じてくれた。最後に握手をして別れようとした時、彼女から、「日本に帰国したら『表揚信』をください。」と言葉をかけてきた。またもや難解な言葉だ、うーん『表揚信』が分からん!!。メモ帳に書いてもらったり色々と聞いてみてやっとの事で理解できた。僕らが彼女に大変お世話になったことを会社に電話して欲しいらしい。そのことで彼女は社内で評価されて賞与をもらえるというのだ。OK、了解、承知の助。そんなことならお安いご用だ!でも、こんなことを頼めるなんて、お国は変わっても現代っ子っていう感じだよなあな・・・。
 こうして僕らの束の間の夏休みが終わり、なんとなく後ろ髪を引かれる思いで機中の人となったのです。

 明日からは、いつもの激務が待っている。
                 ねぇ、かずみっちゃん。

華安土楼群の「二宜楼」

8月31日






9月1日






9月2日








9月3日



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旅の日程

8月31日 廈門(アモイ)市内観光(上古文化芸術館、中山路の散策)
9月 1日 廈門(アモイ)市(コロンス島ウォーキング、南普陀寺の観光)
9月 2日 廈門市ー華安市(華安土楼群の観光)
9月 3日 廈門高崎空港から帰国

日程表のダウンロード(PDF)はこちらから 日程表
廈門観光案内のダウンロード(PDF)はこちらから 観光案内
華安土楼のダウンロード(PDF)はこちらから 華安土楼